羽田融はヒップホップに夢中な北鎌倉学院高校二年生。矢田部研吾はアルコール依存症で失職、今は警備員をしながら同校剣道部のコーチを務める。友人に道場に引っ張られ、渋々竹刀を握った融の姿に、研吾は「殺人刀」の遣い手と懼れられた父・将造と同じ天性の剣士を見た。剣豪小説の新時代を切り拓いた傑作。(「BOOK」データベースより)
誉田哲也の「武士道シリーズ」のような青春小説と思い読み始めたら、全くと言って良いほどに異なる物語でした。
主人公の羽田融(はだとおる)はラップに夢中になっている高校生だ。言葉の持つ美しさを最大限表現すべく日々考えている。もともと陸上部のスプリンターだったのだが先輩と衝突して今は帰宅部である。
その融が剣道にはまった。北鎌倉学院高校の剣道部のコーチである矢田部研吾から一本を取ったのだ。一方、矢田部研吾は融の中に今は植物人間となっている父矢田部将造の殺人剣の姿を見たのだった。
読後にこの本の「BOOK」データベースの文句を見たら「超純文学」とありました。「超純文学」という言葉は初めて聞きましたが、大衆小説ではないけど、純文学とも言えない、というニュアンスなのでしょうか。
「純文学」「大衆文学」という分類自体あまりよく分からないし、意味があるとも思えないのですが、単なるエンターテインメントではない、ということを言いたかったのだと思うことにします。
そうであるならば、少しは意味が分かるからです。
私は剣道というスポーツ自体が個人的なスポーツであり、より人間の内面に関わる武道だと思っています。
本書でも、羽田融についてもそうですが、もう一人の主人公である矢田部研吾の内面を深く描写しています。
親子の物語でもある本書の眼目でもあるので書けませんが、アル中である矢田部研吾の内面の葛藤は読んでいて少々辛いものもありますし、とても理解できるものではありません。
かつて、遠藤周作の「沈黙」という本に驚いたことがあるのですが、弱者を弱者として見つめているその本の方が腑に落ちた感じがしたものです。
本書は、剣道の入り口を覗いただけの私では感覚として分かりにくいところがありました。スポーツとしての剣道しか知らない自分にはちょっと重すぎたのかもしれません。
エンターテインメント性のある青春小説を期待している人はやめた方が良いです。
しかし、剣道に強い関心がある人にとっては面白い物語だと思います。ただ、決して明るい物語ではありません。

コメント
始まりは、藤沢周を藤沢周平と読み間違えた所から・・・
ああ違うんだ~
と言うことで、藤沢周をネットで検索してみました。
この作家の事を「人間の焦燥感を描いたら右に出る人はいない」の紹介でした。
この作品も、剣道を通して、人間の奥深い心の闇を描いているのか?と・・・
そうそう「武曲」はブキョクではなくてムコクなんですね~
そう。書き忘れていたけどタイトルの読みは「むこく」なのです。
「人間の焦燥感」ですか。
この頃、どちらかと言うとエンタメ系の本が多いので、この本のように正面から内心の葛藤を突き付けられると少々疲れました。
同時に読んでいる軽く読めるもう一冊の本を読了することにします。