「兜」は超一流の殺し屋だが、家では妻に頭が上がらない。一人息子の克巳もあきれるほどだ。兜がこの仕事を辞めたい、と考えはじめたのは、克巳が生まれた頃だった。引退に必要な金を稼ぐために仕方なく仕事を続けていたある日、爆弾職人を軽々と始末した兜は、意外な人物から襲撃を受ける。こんな物騒な仕事をしていることは、家族はもちろん、知らない。物語の新たな可能性を切り拓いた、エンタテインメント小説の最高峰!(「BOOK」データベースより)
本書『AX アックス』は、超一流の殺し屋だが家では恐妻家の「兜」という男を描く、2018年本屋大賞ノミネート作品です。
読み始めは、「兜」という殺し屋の男の奥さんに対する過剰なまでの気の遣いようの描写に、世の夫たちの共感を狙うユーモアタッチの物語だと思っていました。
なにせ、第一章にあたる「AX」では、遅くに家に帰った主人公が、奥さんの目を覚ますことなく静かに食べることのできる食材は何か、という話で盛り上がります。結論は、魚肉ソーセージなのですが、全くの他人が同じ結論に至る過程は、どう見てもユーモア小説以外の何物でもありません。
ただ、本名を三宅という主人公の職業が他人さまの命を奪う殺し屋だという点が独特だというに過ぎないのです。
次の「BEE」という章では、ひたすらに「兜」の家の庭に巣くったアシナガバチの退治について語られるのですが、この章など、読み終えてから「だから何なのだ」と問われたら何も返す言葉もなさそうな物語です。
このままなら本屋大賞ノミネートの意味も薄れるなどと思っていました。
しかし、次の章「Crayon」あたりから少しずつ雰囲気が変わってきます。この章では「兜」は、いま流行りのボルダリングジムで松田という名の男性と知り合います。やっとできた親友と呼べる友を得、彼とのひとときの語らいを何よりも楽しみにするようになった「兜」でした。
その友達との語らいの中で、子供がクレヨンで書いた父の画などの話から、あらためて子供について、そして家族について考えるのですが、それは日ごろから考えている自分の裏の仕事について再考することにも繋がってくるのです。
そして「EXIT」の章では、再びできた友人の奈野村との小さな約束事を果たす中で、この頃頭を占めている裏の仕事からの引退を具体的に考えるようになるのです。
ここでの「兜」の描き方はなかなかに引き込まれました。そして、結構大きな意外性が待ち構えていました。小説の作り方としてのうまさは定評のある作者伊坂幸太郎の作品だと思い知らされます。
その感覚はそのままに最後の「FINE」という章まで引き継がれるのですが、ここでの物語の収束は、気づかないうちに貼られていた伏線を回収する過程であると同時に、「兜」という人物の心の裡を明らかにする過程でもあります。
そして、やはり本屋大賞ノミネート作品となって、五位という評価を受けた作品だけのことはあるという印象にたどり着きました。
クライマックスでのある仕掛けに若干の疑問点はあるものの、やはり定評のある作家の作品は読みごたえがあります。